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長く緊張状態に置かれると、人はブレる

2011年3月18日
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ジーザス小川です。

震災の日から、一週間が経過しました。

しかし、社会インフラの復旧、原子力発電所の問題解決にはまだほどとおく、日本人口の半分以上の方に大きな影響がでている状態です。

そのため、このブログをお読みのあなたや、その周囲の人、そういったみなさんが、大なり小なりの、精神的、身体的なダメージを受けているものと思います。

そして。

被災地におられ方は、例えば、被災地のほかのみなさんの姿を見て、被災地でないところにおられる方は、被災地の方の姿を見て。

なるべく平常心でいようとか、
いつもより、自分に厳しくあろうとか、
そういうふうに考えていらっしゃるかもしれません。

今日は、そんな中。

僕の実体験の話を、ひとつしてみたいと思います。

僕は、29才のころ、突然の大病にかかり、半年間入院しました。

かかった病気は、東京都から難病指定されている、「ネフローゼ症候群」というもので。

体に危険な「ステロイド剤」や「免疫抑制剤」を大量に投与され、ひたすら安静にしている毎日でした。

当時の僕は、社会人経験としては、いい年こいて、1年だけ「港の現場監督をしたことがあっただけ」という状態。

ただ、漁船に乗っていたことがあったというのと、サッカーにハマっていたというのもあって、健康には自信がありました。。入院するまでは。

体重72kgのアスリート体型で、足の筋肉とか、発達していました。

こんな感じでした↓。
http://www.konesite.com/images/photonoise/japan/dekainu.jpg

サッカーチームにいくつか所属していて。
公認審判員として、まじめにトレーニングをして、JリーグのU-18くらいのユースチーム同士の試合でも主審とかしていました。

それが、突然、入院してしまったんですね。

当初は「3ヶ月」と言われていた入院期間の見通しが、1ヶ月もしないうちに「いつ出られるか、分からない」となり。

結局半年で退院しました。

でも、入院して出てくるまでは、まるで一夜明けただけかのようにあっという間でした。

そして、その間に、心も体も、ガタガタ、ズタボロになりました。

今でも、覚えている話をいくつかしますと。

入院後、親元に戻ったのですが。

退院直後は、そのあと、散歩しようと思って、マンションの3階から1階に降りて、マンションのまわりをぐるっと歩いたら足がつりました。

体重が56kgまで落ち。、
ステロイド剤の副作用で、白内障を発症しました。
(実は、今でも、僕の目には白い濁りがあります。。)

おまけに。

病院からは、退院時に、

「君の病気は、もう治らない。このまま副作用の強い薬を飲み続けて体をこわしていくか、薬をやめて病気で壊れていくかだ」

というようなことを放り出されていましたから。

さらに言うと、友人関係も、入院している間に、ガタガタに崩壊しました。

どのくらいかと言うと。

男にも女にもまるで相手にされなくなりました。
入院前に自分の友達だと思っていた人たちの8割くらいは、入院後には、メールを3回くらい送らないと返事をよこしてこないくらいになりました。

メールを3回くらい送るとようやく翌日に返事が来る。
その直後に返事を書いても、決して返事は来ない。

そんな感じでした。

ショックでしたよ。

健康だけが取り柄のつもりでいたのに。

すべてを失ってしまって。

「もう、ムリ。これは、もう、さすがに復帰できない..。」
と、思いました。

人生で達成したいと思っていた目標みたいなものもありましたが、すべて、おじゃん。

「必死になって明るく振るまおうとしていたけど、ぜんぜん空回りしていて、見ていられなかった。『ああ、小川さんは、もう終わちゃった人なんだな』って思いましたよ。」

5年下の後輩に、当時のことを振り返って、後からそう言われたことがあります。

…もっとも、その後、スキルアップに精を出し、死力を尽くしてなんとかしてみたら、なんとかなったんですが。

それは、さておいて。

今日、お伝えしたかったのは、もうちょい別の話。

> 男にも女にもまるで相手にされなくなりました。
> 入院前に自分の友達だと思っていた人たちの8割くらいは、
> 入院後には、メールを3回くらい送らないと返事を
> よこしてこないくらいになりました。
>
> メールを3回くらい送るとようやく翌日に返事が来る。
> その直後に返事を書いても、決して返事は来ない。
>
> そんな感じでした。

って書いたんですが。

そうなってしまったのには、理由があったんです。

それは、僕が健康を害したからとかではなく。

長期入院をしている間に、

「自分でも気がつかないウチに、自分がブレていったから」

なんですね。

「入院する」となったときには、思いましたよ。

「よし、この危機を乗り越えてやるぞ」
「強い自分であり続けるぞ」
「いつもどおりの自分でありつづけ、そう振る舞うぞ」

なんて、そんな風に。

..でも、ムリだったんですね。

実は、ステロイド剤を多量に使うと、精神状態が不安定になるので、それがさらに僕がブレていくことを促進していたと思うのですが。

「慣れない長期の入院生活」とか、
「これまで積み上げてきたものを失う恐怖」とか、
「退院後の生活への不安」とか、

そういうものをずっと感じながら、平常心でいつづけるというのは、やはり、ムリでした。。。

「快方に向かっていると思っていたけど、やっぱりそうではなさそうだ」
「入院期間は3ヶ月と思ったけど、見通しは立たなくなった」
「入院生活は、半年くらいだろう」

そんなことを主治医の先生から言われる度に、僕は、だんだんおかしくなっていきました。

おかしくなっている間に、見舞いに来る友人との関係を壊し、メールで友人とケンカし、ということをしつづけ。

そして、当時の僕がおかしくなっていた、と気づいたの
は、ようやく、退院間際のことです。

退院間際になって、自分の友人が、入院前に仲良くしていた人ほど遠くにいる状況に気がつき、それでようやく分かったのです。

..それから長い間、僕は相当に孤独でした。

..まあ、これは、病気入院の話ですし、ひとりの人間の中に起こった出来事なので、今回のような大災害とは無関係かもしれませんが。

とはいえ。
「過緊張の状態が長く続いたとき人の心の状態にどういう変化が起こるのか」
ということについては、ある程度の示唆を含んでいるものとも考えています。

過度のプレッシャーを感じ続けていると、人は、自分を見失います。

仕事場での過労でうつになり、自殺未遂を起こす人。
親族との相続問題に巻き込まれ、その延長で
自分の家族との関係までおかしくなってしまう人。

あなたにも、そういう人を端から見ていて「なんで、そこまで?!」と思った経験があるかもしれません。

それに近い状況が、「大災害の影響を受けている」という状況にある多くの人で起こっています。

大震災発生当初は、

「よし、この危機を乗り越えてやるぞ」
「強い自分であり続けるぞ」
「いつもどおりの自分でありつづけ、そう振る舞うぞ」

と思っていた人たちにも、いつかは、長期にわたるプレッシャーから、自分を見失う人が出てくるものと思います。

僕自身、気をつけているつもりでも、気をつけきれないかもしれない、という不安を抱えていますし。

ここ数日の自分を振り返ってみても、いつも望ましい自分でいられたかどうか、自信はありません。

あなたの周囲でも、普段とは違う感じになってしまう人が出てくるかもしれません。。

「なんで、こんなことに?」というようなことに激しく反応してしまう人。
人のことを顧みない、辛辣な発言をしてしまう人。
運転が乱暴になってしまう人。

そういう人が出てくるかもしれませんし、あなた自身も、そういう時期を迎えることがあるかもしれません。

こういうことについては..。一般的な処方箋はなかなかないですが、

自分がどういう状態にいるかを測る方法はあります。

それは。

イスに座って、考えを一切止めてみることです。

そのとき、心の中に、どういう感情がわき上がるかを観察します。

何も感じない、静かな心持ちならよいのですが。

例えば、

○イライラしてくる
○嘲笑的な気分になる
○厭世的な気分になる

といったことなら、要注意です。

長く緊張状態に置かれると、人はブレていきます。

ひょっとすると、そういう感情が湧いてくるということは、ブレた状態になっている、ということかもしれません。

問題は、原因に気づくだけでも、だいぶ軽減されます。

こんな中途半端な記事でよいのかよく分かりませんが。。

..長くなってしまったので。
また、続きを書きたいと思います。

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