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「ありのまの自分には価値がない」から成果が出ない

2011年10月21日
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エクセルマクロ・VBA達人養成塾 小川です。

エクセルマクロ達人養成塾塾長ブログ-右はボロい車、左は三輪タクシー。

昨日の写真の続き。もう少し時間が経ったところ。空がだいぶ明るくなっている。
右はボロい車、左には、三輪タクシーがこっちに向かってきている。

エクセルマクロ達人養成塾塾長ブログ-通りを渡って振り返った。朝の通勤バスを待つ人達。

朝の通勤バスを待つ人達。
さきほどの写真で見えていた通りを渡り、振り返って撮った。青い建物は、前の写真でも写っていたものです。
青い建物の地上階は、軽食のできるBar。その上には、人が住んでいるようだった。左の建物には、もっと生活感が漂っている。

エクセルマクロ達人養成塾塾長ブログ-Paseo de Martiにて。女子高生かな。
Paseo de Martiにて。女子高生かな。この目抜き通りは南北に走るそれぞれ一方通行でその間に、人が歩けるこのようなPaseoがある。
この写真を撮った場所から北のほうに10分も歩いて行くとハバナ湾の入り口にあたる。とりあえず、海のほうに歩いてみることにした。

..ということで、キューバ話はまた明日。

塾長のキューバ旅行記、最初から読みたい方はこちらから


昨日、VBAセミナー受講希望でPC操作の遅い人への個人指導があった。
VBAセミナー受講希望でセミナー受講前に不安を感じている人にのみ、特別価格で個人練習をつけている。

それにしてもいつも思うのだが、どうして、タイピング遅い人の多くが、ムダに完全主義者的なんだろうな。

それも、「ありのまの自分には価値がない」の「肯定的決断」をしている感じ。

すなわち:

1.
「何ごとも、完璧でなければならない(そうでない人間には価値がない)」

2.
「タイピングも、完璧でなければならない」

3.
「でも、私のタイピングは完璧ではない」

4.
「そして、私は、今後も、とても完璧にはなれない」

5.
「だから、私は、価値がない」

ということで。
「練習すると成果が出るだろう」という期待を持って取り組んでいないし(なので、練習に工夫がない、単調、散漫)、ちょっと向上しても、「このくらいでは完璧とはほど遠い(だから、やっぱり私には価値がない)」と言って、自分を責める。

こういう人が来たときは、タイピングのトレーニングというより、60%くらいはメンタルのケアをすることになる。
必要であれば、セラピーのセッションよりのことをすることもある。

ちなみに、上記の論法は錯覚だらけ。

1,5. は、「そうでない自分には価値がない」というのがそもそもの錯覚。

2. は、そんな必要はない。実際には、ミスタイプしても修正するのも早ければ問題ない。

3,4. は、どうせ誰も完璧な人なんていないし、完璧になる必要なんてない。

そして、この錯覚をすべてはずしてあげないと腑に落ちてもらえないから手が焼ける。

「肯定的決断」とは、交流分析での用語。

反対語に、「反抗的決断」というのがある。

「肯定的決断」というと、以下の流れ。

「完璧でない自分には価値がない」→「でも、自分は完璧ではない」→「では、私は、価値がない人として振る舞おう(これが、『肯定的決断』)」→「練習しても成果の出ない自分を演じる」

「反抗的決断」は、以下の流れ。

「完璧でない自分には価値がない」→「でも、自分は完璧ではない」→「では、私は、価値があると認められるよう、必死になって努力しよう(これが、『反抗的決断』)」→「必死になって練習して、成果を出す」

一見「反抗的決断」のほうが結果的にスキルを獲得できたりして良いように見えるが、そうでもない。

実際には、こういう人は、どこまで行っても自分に納得できないので、何かを達成したらしたで、もっと自分を苦しめるようなさらに高い壁を作り、それを乗り越えにいく。
そして、いつか、その人にも超えられない壁にぶちあたり、どうしても、自分に価値を見いだせなくなる。

自分がそういう人間だったから分かるが、こうなってしまった段階での本人の苦痛は筆舌に尽くしがたい。

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